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代表からのメッセージ

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なぜ、わたしは【信じる】を
使命としているのか

「すぐに動いてくれ要望に応じてくれる」と言われる代表の椎名能幸です。

なぜ【信じる】を使命と掲げているのかその理由(わけ)を
聴いていただけますか?

  • 「あなたはやればできるんだから」

    こんにちは!
    家族で理想的な条件の物件に住みたいけど「希望に沿うそんな完璧な物件はないよね」と
    あきらめかけている方に、安心と信頼を提供する「不動店」の椎名能幸です。

    わたしの父は、製麺所の6人兄妹の末っ子で、兄妹みんな製麺所や中華屋を営んでいましたが、
    祖父母の強い希望でもあったので、兄妹の中で唯一サラリーマンになり勤めていました。
    しかし、父もカエルの子はカエルだったからなのか脱サラしラーメン屋を始め商売をしていました。

    父は多趣味で釣り、キャンプ、ゴルフ、車好きで、家族でいろんなところに出かけてくれました。

    わたしは、父の車好きの影響で、小さい時はミニカーやスーパーカー、ラジコンカーに夢中でした。

    凝り性で好きなことは徹底的にやる性格は、父親譲りなのです。
    一方、母は、小さい時から、わたしのことを、「あなたは、やればできるんだから」と
    口ぐせのように言っていました。
    そして、母は本気でわたしのことを信じていたのです。
    そのせいか、小学校の頃は、大して努力もしないのに、
    何でも器用にこなし、スーパーマンのように思われ、
    わたしはいささか有頂天になっていました。

    中学校に入った途端、熱中するものがない、やる気もない、
    何もできないまま、その他大勢の中に埋没した日々を送っていました。
    その頃、ちょうどF1ブームが到来し、テレビにかぶりつきでレースを観ていました。
    スリルとスピードで、観ている自分も熱くなり、「将来、F1レーサーになりたい」と本気で思いました。
    両親に「レースをやりたいからカートを買って」と頼みこむことにしました。
    だけど、うちは商売しているから連れていけないからだめだ、の一点張りだったので、
    両親に頼らず一人でできるようになるまで我慢しようと決めました。

  • 「オレもプロレーサーになる」

    高校は普通科の都立高校に合格し、卒業後はレーサーを目指せる学校と思いレーサー専門学校がありましたが、
    そこだと卒業しても何の資格が取れるわけでもなかったので、
    卒業すれば資格の取れるカート同好会のある自動車整備専門学校へ行きました。

    専門学校卒業後、自動車整備士の資格を持っていたので
    自動車ディーラーへ就職し初任給で中古カートを自分で買いました。
    ところが、カートをやるには、練習走行費、運搬費、維持費などお金が莫大にかかり、給料では全然足りません。
    勤めながら何とか続けていましたが、わたしは整備士になりたかったわけではなく
    レーサーになりたいんだからと思い、このままだとレーサーになれないと考え始めていました。
    そんな時、学生時代のカート仲間の友人が、地元のサーキットシリーズでチャンピオンになったのです。
    会って話を聞くとその友人は徹夜してバイトをしながらカートを続けていました。
    「椎名はどうする?」と聞いてきたので、
    わたしも、「オレもプロレーサーになる」と答えました。
    すると、「椎名。情熱だよ。情熱があれば、何でもできるよ」と熱く語りかけてきました。
    わたしは、友人と一緒に夢を語りながら、心の中で、「オレもやるぞ!」という声がこだましていたのです。

    わたしは、このあとすぐにディーラーをすぐに退職しバイトを掛け持ちしながらカート中心の生活にしました。
    日中カート走行日はサーキットへ練習しに行き、他の空いている時間は昼夜問わずアルバイトし
    カートチームもディーラー時代の先輩に結果を出すためレースに強いチームを紹介してもらい
    本格的にそこで活動し、優勝できるようになり「これがオレの居場所だ!」と
    今まで器用貧乏で何でもそつなくこなしモヤモヤしていた自分の心につかえてたものが、いっきに晴れました。

    4年でカートのトップカテゴリー全日本まで乗り、4輪のフォーミュラFJスクールのスカラシップ権利を取得して
    1年FJスクールで乗り、翌年筑波とモテギでフォーミュラカテゴリーFJレースでデビューをしました。
    最終的にF4までいきましたが、その後4輪レースではいい成績を残せず
    一般道路のバイク交通事故で足を骨折してしまい、低年齢化していたレーサー業界で
    当時28歳と年齢的に厳しいこともありプロレーサーを断念しました。

  • 「親に恩返しをしたくなった」

    わたしは20代は自分の夢のために時間を使い、30代になったら何か自分の仕事をしようと決めていました。

    しかし、レーサーとしての夢を追いかけていたわたしの姿を見て、両親はわたしが家業を継ぐことはないだろうと思い家業をたたみ、田舎へ引っ越していました。
    自宅はお店の上でしたが、廃業後両親は田舎に家を建てて店舗跡をアパートに建て替えすることが決まっていました。
    そしてわたしは取り壊し直前まで一人自宅に住んでいました。

    取り壊し最後の日、わたしは何か両親に申し訳ない気持ちと
    何も言わずにレース活動を応援してくれた両親に
    感謝の念でいっぱいになり、今でもあの日の気持ちは忘れていません。

    そしてレースを辞め一人暮らしをし、しばらく地元の印刷会社で会社員として勤めました。
    その頃は生活だけが目的となり、シンナーなどを使う印刷会社の仕事は体に良くないなと思い
    これは一生の仕事にすることはできないと思い、そのあと会社を辞めてしまいました。

    あてもなく辞めてしまい数ヶ月間、自宅でひたすら引きこもり
    「もう就職は無理なのでは」。そういう絶望感だけが襲ってきました。
    自宅で引きこもって3ヶ月程たった時、自分が「世の中にまったく役立って
    いないじゃないか」という想いにさいなまれました。
    すると、今まで応援してくれた親に急に恩返しがしたくなったのです。
    「何か親の役に立ちたい」という想いが湧き上がってきたのでした。
    そこで、自然に、「親の役に立つには?」と自問していました。
    その答えが不動産でした。

    両親はアパート経営なんてしたことない、不動産は怖いと思っているのではと思い
    不動産の勉強をして「オレが助けてあげよう」とそれには不動産屋へ就職するのが一番早いと思い就職しました。
    最初ワンルーム投資マンションのオーナー様へ電話し投資法人へ売却してもらう電話営業の会社へ行きましたが、
    3ヶ月ほどやったところで自分が想像してた不動産屋と違うと思い、町の不動産屋で賃貸営業をしているところへ転職しました。
    その後、賃貸売買仲介の他に建売をしている会社へ転職し、店長を経て約7年間会社員として賃貸売買仕入など一通り勉強し
    宅地建物取引士の資格を取得した時に独立して自分の会社を作りたいという想いが出てきました。
    そこで今の妻へその想いを伝えたところ、開業の元手がなかったので
    妻が「実家1階に空いてる部屋があるからそこで会社を始める?」と言ってくれたので「ぜひやりたいのでお願いします。」と
    伝えました。
    妻と義理の両親に快諾をいただき、あとは開業資金を政策金融公庫へ打診に行きましたが、不動産業免許がないと
    融資してもらえないとのことで、今度は父親に、「ぜひやりたいのでお金を貸してほしい」と相談しました。

    ところが、父が言ったのは、
    「貸すことはできない…ただ、アパートの管理料として2年分72万円を払う」と。
    わたしは、正直カチンときて、なんで貸してくれないのかと思いました。
    ところが、ふと自分を振り返ると、会社の元でやっていて自力で結果も出したことがないのに
    独立計画もしないで、資金を出してくれというのは考えが甘いなという思いを見せつけられました。

    ならば、足らない分は自力で何とか稼いでやるしかないと思い、前の会社で一緒だった先輩を頼り、
    完全歩合制でうちでやればいいと先輩が言ってくれて
    何とか先輩の助けもあり免許取得分を稼ぎ独立開業することができました。

  • 「任せてもらった以上信頼を裏切りたくない」

    会社設立から半年後免許取得することができました。
    やっと自分の会社で仕事ができることがよろこびでした。
    勤めていた当時「ネット集客に力を入れればいいのに」と思っていたので
    ネット広告へ資金を投入したところ反響はあるけど全然成約することができず
    毎月広告費だけが出ていきじり貧状態になりました。

    そんなある時、お客さんからの一言がとてもショックでした。
    今までは、手数料半額で集客しているサイトに登録していたため、
    料金が安いことをアピールしていました。
    その話を聞いたお客さんから言われた一言。
    「買う買わないは、手数料が安いかどうかじゃないから」
    その一言にそれ以上何も言えませんでした。
    この一言をキッカケに、今までの営業スタイルに限界を感じ、値段ではなく、
    お客さんに安心と信頼を得られるような接客をするように変えました。
    すると手数料値引き話を一切しないのに、お客さんから任されているという感じが強くなったのです。
    任された以上、信頼を裏切りたくないという責任も出て、より信頼されるという好循環になりました。

    そしてある勉強会で、既存のお客さんを大切にしていれば、
    新規開拓はそれほどしなくても大丈夫という話を聴きました。
    正直その話を聴いた時は半信半疑で本当にそれで大丈夫なのかと思っていました。

    そこで問い合わせや今まで何かしら接点のあった人たちへお手紙やメールをしました。
    そうするとお返事などをいただきその中から紹介などが出てこのようにすればいいのかと手応えを感じました。

    そんな中で、わたしには悩みがひとつありました。
    小さなお子さんのいるファミリー層のお客さんから、「中古でいいから安い中古物件が欲しいのですけど」という
    ご要望を多数いただきました。
    現実には、中古物件は戸建てだと解体され、マンションは業者が買取リフォームして
    販売価格が高くなり、リフォームされていない物件は多額のリフォーム代がかかり
    購入できないという現状がありました。
    そのため、わたしは、「残念ですが、希望に合う物件はない」と言って諦めていただきました。
    その言葉を聞いて落胆した表情のお客さんを見て、誰もやりたがらないことを
    早く丁寧にやることをモットーに、中古物件を、いい品質かつリーズナブルに提供し、
    信頼第一のお店を作ると決心したのです。

  • わたし椎名能幸の使命

    平成26年に何とか独立しました。
    しかし独立に当たって、何も準備がなく開業資金が200万円足りませんでした。
    そこで、父親に「独立するので200万円足りないので貸してほしい」と相談しました。
    すると、父は「貸すのではなく2年分のアパート管理料72万円だったらお願いする」とだけ言って、
    数日後会社口座へ72万円を振り込んでくれました。
    実は、その前に母から、「心配だけど、お父さんが借金ではなく仕事としてお金を渡すんだ」と教えてもらいました。
    わたしのこれまでを父が認めてくれたことが、とてもうれしく感じ、絶対成功するぞという意気込みがわいてきました。
    わたしの仕事へのこだわりは、「急がば回れ」です。
    小さい頃から小手先でこなして、努力しないと結果が出ないことを痛いほど体験してきたからです。
    中古物件だからこそ、とことん調査する。
    特に、図面ではわからない情報をとことん調査する努力を怠らない。
    中古物件だからこそ、細かいところまで徹底的に確認する。
    その地道な確認がお客さんからの信頼に必ずつながると信じていました。
    もうひとつは、小さい頃から母から何回も言われていたこと。それはウソをつかないことです。
    お客さんには、その物件のメリットとデメリットを正直にご説明する。
    お客さんにとって中古物件を買うことはリスクがあり、その物件のことをよく知ってもらい安心して購入してもらいたいからです。
    そういう想いで、接客をしました。
    一番初めに買っていただいたお客さんのことは、今でも思い出す度に武者震いします。
    「こんないい物件に出会えてうれしいです。椎名さんは何でもお話していただいたので、安心して買うことができました」
    この言葉を聞いた時、自分がやることに間違いはない、という自信を得ました。
    このような体験から、わたしは自分の使命を、【信じる】、自分を信じ切る、としました。
    自分を信じて、地味でもいいから丁寧に努力する。
    そのことがお客さんからの信頼につながると信じ切る。
    わたしは自信と誇りを持って仕事をしています。

    「築古物件とは思えないくらい綺麗でいい物件ですね」という言葉を、お客さんから言われるととてもうれしい気持ちになります。
    最後に、わたしからお客さんへのメッセージです。
    小さなお子さんを持ち、家族で快適に過ごせる物件を欲しいと考えているけれども、
    予算の都合で、安い物件を購入したいと思っている方。
    「安心して住める、綺麗で安い物件なんてないだろうな」と諦めないでください。
    諦めないで、情熱を持って探せば、必ず、お客さんの求める物件と物件を提供する会社に出会えます。
    そのような方のために、わたしは、「椎名さんに出会えて良かった」と言われることを信じて、
    これからも日々地道な努力をしてまいります。

    椎名能幸